羽村動物園といえば、
アットホームな雰囲気で、
家族で遊びに行くのには
もってこいの動物園ですね!
ですが、一時期は廃園の危機にまで
追い込まれてしまいます。
その危機を救ったのが、
過去に営業マンをしていた
赤尾ひさのぶさんです。
そんな赤尾ひさのぶさんについて気になったので、
詳しく調べてみました!
赤尾壽允のプロフィール
赤尾 壽允さんの投稿 2016年11月13日日曜日
名前:赤尾壽允(あかお ひさのぶ)
生年月日:1942年
出身地: 東京都
赤尾壽允の経歴は?
赤尾さんは、1942年に東京都で生まれます。
そして、高校では東京教育大学附属駒場、
大学では東京教育大学農学部の
応用動物学科を卒業しました。
東京教育大学は、現在は
筑波大学となっているとのことです。
大学を卒業後は、
中外製薬株式会社に就職しました。
中外製薬といえば、インフルエンザの薬である
タミフルが有名ですね!
しばらくして、中外製薬を退職し、
日本家具センターに就職します。
ですが、こちらも退職して、
最終的にはパナソニック ホームズ株式会社
いわゆるパナホームに就職して、
定年退職をしました。
仕事の殆どは営業だったため、
様々な営業スキルを身につけることができたとのことです。
こうしてみますと、
有名企業に就職しているので、
とても実力がある方だったのでは?
と思いました。
営業一筋だった赤尾さんですが、
なぜ動物園の園長になったのか、
とても気になりますね!
羽村市動物園公園の園長になった理由は?
赤尾さんは、
定年退職後の2002年に、
いつもどおりに新聞を見ていたところ、
羽村市動物園が園長を募集しているという
公募を見つけました。
当時の羽村動物公園は、
入園者数がとても少なく、
人気絶頂期であった開園当初の、
約三分の一の入園者数しか来なくなったため、
廃園の危機に追い込まれていました。
そこで、そんな危機を脱却すべく、
一般公募を行ったのだといいます。
赤尾さんは、
小さい頃から動物が好きであり、
大学も動物の学科を選んでいたので
応募したとのことです。
それだけではなく、
一度は赤尾さんは家族を連れて
羽村動物公園に行ったこともあるので、
思い入れのある動物園だったとのことでした。
下見として、現在はどうなっているのかと
見に行ったところ、
とてつもなくひどい状態だったとのことです。
ゴミは散らかっており、
動物小屋は錆びきっていて、手入れがされていなく、
入園者数が少なくなるのも、
無理はない状態だったとのことです。
この現状に、非常に期待はずれだったとのことです。
ですが、逆に園長になって、すべてを変えたい!
という思いが生まれたとのことです。
その思いは本物で、
競争率が48倍という、
受験生もびっくりするほどの倍率を
赤尾さんは、見事に勝ち取り、
園長になることができました。
とても凄い信念を持っていたのですね!
本気で変えたい!と思っていたからこそ、
園長になれたのですね!
羽村動物園を飲みニケーションで救った!?
晴れて園長になった赤尾さん。
園長になったのはいいですが、
やるべきことが山積みでした。
その中でも、一番困った問題が経費です。
入園者数が少ない為、経費もその分少なく、
新しいことをしようにも、エサ代や維持費などで、
余裕がなかったとのことです。
ですが、赤尾さんは、
過去に養った営業スキルで、
この問題を脱却しました。
餌は自分で集める!
動物たちに与える餌は、
基本は業者から買います。
ですが、赤尾さんは経費を抑えるべく、
業者から餌を購入することをやめました。
そして、自らの足で商店街を回り、
様々の方と交流を深めて、
野菜など、動物たちの餌を分けてもらったとのことです。
凄まじいコミュニケーション能力ですね!
しかも、それで動物たちの餌は
うまく調達できたとのことで、
年間では300万円も経費を節約できたとのことです。
次ページでは、
飲みニケーションという神スキルで
コネを作った方法についてまとめています!