皆さんの中にも、
毎日時計をつける方はいますよね!
腕時計の有名なブランドと言えば、
ロレックスやウブロ、
ブレゲなどがありますよね!
今回紹介するのは、
日本のあの有名時計ブランドの
G-SHOCKを作り出した、
伊部菊雄さんです!
どのような経緯で作ったのか、
誕生秘話や経歴などが気になったので
まとめて記載しました。
伊部菊雄(いべきくお)のwiki風プロフィール
出典:https://watchnavi.getnavi.jp/
名前:伊部菊雄(いべ きくお)
誕生日:1952年11月15日
出身:新潟県
出身大学は上智大学の理工学部を
出ているとのことです。
今ではG-SHOCKの生みの親として、
とても有名になっている方ですが、
G-SHOCKの開発の裏には意外な始まりと、
多くの努力が潜んでいるとのことです!
どのような経緯でG-SHOCKは開発されたのか、
更に詳しく内容を掘り下げてみました!
伊部菊雄の腕時計G-SHOCK開発秘話は?一行の企画書で始まった!?
伊部菊雄さんは、大学を出てから、
カシオ計算機株式会社に
入社したということです。
カシオといえば、電卓や時計、
電子楽器などの有名メーカーですよね!
この会社に入ることができた伊部菊雄さんは、
とても頭が良かったのだと思います。
そんなカシオ計算機では、
月に一回、新製品のアイデアをまとめた
企画書の提出がノルマとなっていたとのことです。
月ごとに新製品のアイデアを
出さないといけないなんて、
とても大変ですよね・・・
伊部菊雄さんはこの企画書制作に
行き詰まっていたとのことで、
作りたいもののアイデアはあるが、
時間も限られている中で、
それを実現する計画が、
全く練り出せなかったということでした。
結局企画書をまとめることができず、
最終的に提出したものは、
たったの一行
「落としても壊れない丈夫な腕時計」
とだけ書かれていたということでした。
実際にこのような企画書を出したら、
上司に滅茶苦茶怒られる
未来しか見えないですよね・・・
ですが、なんとこの企画書が採用され、
本格的に壊れない腕時計を開発に
取り組むこととなったということでした。
壊れない腕時計というアイデアが、
上層部の人の心を掴んだのでしょうね!
G-SHOCKの開発の始まりは、
本人ですら驚いたのだと思います。
伊部菊雄はなぜ、壊れない腕時計を作りたかったのか?
伊部菊雄さんが作りたいと思っていたもの・・・
それが、壊れない腕時計でした。
なぜ、壊れない腕時計というアイデアが
ひらめいたのかというと・・・
伊部菊雄さんが高校に入学したとき、
入学のお祝いでお父さんから、
腕時計をもらったことがあったとのことです。
親から腕時計をもらえるなんて、
とても嬉しいことですよね!
ですが、伊部菊雄さんは、
この腕時計を落としてしまい、
無残に壊してしまったということでした。
落としただけで壊れてしまった腕時計を見て、
伊部菊雄さんは落ち込みましたが、
それと同時に、腕時計は落とすと壊れてしまう!と、
逆に感動したということでした。
この体験が、伊部菊雄さんに
壊れない腕時計を作りたい!
と思わせるきっかけになったということでした。
G-SHOCKの開発は難しすぎて辞職まで追い込まれた!?
企画書が通った伊部菊雄さんは、
早速開発に取り組みました。
ですが、壊れない腕時計を実現するのは
一筋縄では行かなかったということでした。
枕元に部品を置いて、
夢でアイデアを思いつくという、
眉唾ものなことまでやるほど、
苦しかったということでした。
もちろん、それでアイデアは出ることはなく、
失敗の繰り返しで、
どんどん追い込まれてしまい、
発売日が半年までに迫っているところまで
追い込まれてしまったということでした・・・
そこまで期間が迫っているのに、
まだ何もできていないことから責任を感じ、
辞表を出そうと決めたとのことでした。
為す術もなくなってしまい、
諦めていた伊部菊雄さんは、
休日出勤をし、身辺整理をしたということでした。
ですが、この休日出勤が、
伊部菊雄さんの人生を変える、
大きなひらめきをもたらしたのでした。
昼食を食べに外に行ったときに、
近くの公園で遊んでいる少女が
いたということでした。
その少女は、
ゴムまりを蹴って遊んでいたとのことで、
その光景を、伊部菊雄さんは眺めていました。
その時、急にひらめいて、
腕時計の部品がゴムまりに包まれている姿が
くっきり浮かんだということでした。
このように、腕時計の中心の部品を
浮かせて耐衝撃性を高めれば、
壊れない腕時計ができる!
と確信に至ったということでした。
そうして、このひらめきから急ピッチで
壊れない腕時計の開発が進み、
ついにG-SHOCKが完成したということでした!
悩みに悩み続けて、
諦めた末の最後の最後でひらめいたという、
映画のようなストーリーですね!
G-SHOCKが海外に!?爆発的に売れた理由は?
G-SHOCKは、発売したものの、
それほど売れなかったということでした。
というのも、最初のコンセプトは、
現場で使う壊れない時計だったので、
主に仕事用がメインだったからでした。
そんなあるとき、海外でG-SHOCKのCMが
放送されたということでした。
アイスホッケーでG-SHOCKを打つというCMが
誇大広告ではないかと、
海外で話題になっていました。
誇大広告って、一体どんな内容なんだろう?
と私は思ったので、調べてみました。
そのCMが、こちらになります!
とてもインパクトが有るCMですよね!
ですが、このCMを見た人たちは、
壊れない時計なんてない!と、
誇大広告に感じてしまったということでした。
そこで、とあるテレビ番組で、
G-SHOCKをトラックで引いても壊れないか?
という企画が実行されるということでした。
このことを耳にした伊部菊雄さんは、
そんな設計にしていない・・・
壊れたら辞表を出すしかない・・・
と、憂鬱だったということでした。
いくら現場を想定した作りと言っても、
トラックに引かれるなんて想定外ですよね・・・
そして、トラックで轢く企画が始まりました。
その結果は、
轢かれても時計が動き続けていました!
この結果から、海外で爆発的に売れ、
今では世界中で愛用されている
有名ブランドにまで、広まることとなりました!
そんな伊部菊雄さんの次の夢は、
宇宙でも使えるG-SHOCKを
見ることだそうですよ!
さらなるG-SHOCKの成長が
とても楽しみですね!
最後に
今回は、伊部菊雄さんについて
調べてまとめました。
更に詳しく知りたい方は、
本人が書いた本までありますよ!
G-SHOCKはいかにして生まれ、なぜ30年も世界で愛されるまでになったのか?
G-SHOCK開発者が贈る、誰でもできる人になれる“仕事の教科書”
◎「たった1つの伝えたいこと」を見つける
◎目の前のアイデアを愛しすぎない
◎気が乗らない日は「今日はダメ! 」と叫ぼう著者はG-SHOCKを世界に広める目的の「ショック・ザ・ワールド・ツアー」では、
25カ国を回り、必ず現地の言葉でプレゼンするなど精力的に活動している。
また、仕事のかたわら若いエンジニアとの勉強会を通じ、自身のノウハウを伝えている。
ノウハウは自分だけで抱え込むものではなく、分かち合うもの。
情報過多の時代だからこそ、シンプルに本質を見極める力が必要と語る著者の言葉は必読! ! !G-SHOCK開発物語も同時収録!
お手上げ状態まで追い込まれていましたが、
それでも復活して完成させたG-SHOCKの話は、
とてもインパクトがありましたね!
宇宙でも使えるG-SHOCK・・・
いつか完成したら面白いですね!
終わり