青森県の八戸市にある救命救急センター
通称「八戸ER」と言われています。
田舎と言われているこの場所では、
医療が過疎になっており、
人命を救うことが難しかったとのことです。
ですが、そんな状況を変えたのが、
八戸ERを立ち上げた、
今明秀という方です。
そんな今明秀さんについて、
経歴や八戸ERを立ち上げた理由など、
気になったので、調べてみました!
今明秀(こんあきひで)のプロフィール
名前:今 明秀(こん あきひで)
生年月日:1958年
出身地:青森県
今明秀(こんあきひで)の経歴
今明秀さんは、
1958年に、青森県で生まれたとのことです。
少年期のエピソードの情報は
発見できなかったので省きますが、
1983年に自治医科大学を卒業しているので、
医療にとても興味を持っていたのは、
間違いないですね!
そして、1983年には、
青森県立中央病院で研修員として
活動していました。
ですが、
その病院で活動し始めてから二年後に、
とある事件が起きました。
今明秀さんが当直のときに、
刃物で刺されて重症を負った患者が
運ばれてきたとのことです。
まだ研修医だった今明秀さんは、
経験も知識も浅かったので、
どのように治療すればよいのか、
わからなかったとのことです。
なので、他の外科医の方を呼んだのですが、
待っている間に患者さんは、
亡くなってしまったとのことです・・・
このような出来事はよくあるとのことなのですが、
それを実際に経験した今明秀さんは、
外科医としての自信をなくしてしまった
とのことです・・・
自分の力不足を、
痛いというほど
痛感してしまったのでしょうね・・・
青森県立中央病院での
研修が終わった後は、
僻地医療をメインに活動していましたが、
僻地というだけあって、
急患の連絡が来ても、
山間部の峠を超えるのに時間がかかってしまい、
そのまま間に合うことができなかった・・・
ということが何度も起きたとのことです。
この経験が、
今明秀さんが八戸ERを作る
きっかけになったとのことです。
その後は、さらなるレベルアップを目指し、
外科医になりました。
外科医になったことで、
重症救急に関わる機会も多くなり、
自分のスキルアップに
大きく貢献できたとのことです。
外科医になって仕事をしている間も、
故郷の青山では僻地医療が上手くいっていない
ことがとても気になっていたとのことです。
とても故郷思いな方ですよね!
今明秀(こんあきひで)は地元との協力で八戸ERを作った!
そして、2004年に、
青森県に一流の医療センターを作りたい!
と、本格的に夢を叶えようと活動し初めました。
ですが、実際に作ろうとしてみると、
多くのお金や人員が必要でした。
医師としての実力や思いだけでは、
乗り越えられない大きい壁ですよね・・・
ですが、そんなことで諦めきれない
今明秀さんは、地元民と地道に、
様々な方と何度も交渉を重ねたとのことです。
そうして、地元民と協力関係を結ぶことができ、
2007年にドクターヘリ法案が成立したとのことです。
このドクターヘリ法案が成立したことによって、
国からの財源を獲得することができたとのことです。
本当に素晴らしいですよね!
地元民と協力して国まで
味方につけることができるなんて、
今明秀さんの思いは本物だったのですね!
そして、2009年には、
ドクターヘリ体制を八戸に
確立することができました。
山間を自由に移動できるようになったので、
多くの患者を救うことが
できるようになったとのことです。
そして現在に至るまで、
数多くの新技術を取り入れ、
現在では24時間、
どんな患者でも受け入れると、
八戸ERは救命緊急センターとして
大きく成長しました。
最後に
今回は、今明秀さんについてまとめました。
数々公開や挫折を味わいながらも、
地元を一番に考える、
とても素晴らしい方でしたよね!
今では多くの患者さんを救っているので、
感謝してもしきれない方ですよね!
これからも、多くの命を救えるよう、
応援しています!
終わり