日本の騎手のトップに立つ人物といえば、
的場文男(まとばふみお)さんですよね!
通算勝利数は7000勝を超えていて、
通算勝利数は日本一とのことです!
そんな的場文男さんですが、
有名になる前までは、
何度も挫折をしていたとのことです。
なぜ挫折をしても続けられたのか?
今までにおった怪我や経歴なども調べてみました!
的場文男(まとばふみお)のプロフィール
出典:http://www.yarisdergisi.com
名前:的場 文男(まとば ふみお)
出身:福岡県大川市
生年月日:1956年9月7日
血液型:A型
的場文男の経歴は?
的場文男さんは、
1956年の9月7日に生まれました。
的場文男さんの父が佐賀競馬の馬主をやっており、
馬が身近にある生活だったそうです。
兄は騎手をやっており、
その兄のようになりたくて、
騎手を目指そうとしたとのことです。
兄に憧れたのがきっかけだったのですね!
そして、1971年に騎手見習いとなり、
1973年に騎手デビューをしたとのことです。
ですが、デビュー当時は
ほとんどレースに乗せてもらえなかったとのことです。
騎手を目指してデビューしたのに、
そもそもレースに参加できないのは、
本当にもどかしい気分だったと思います。
そんな思いが積み重なり、
ついにやめようかとも思ったこともあったそうです。
ですが、的場文男さんの兄は、
「一人前の騎手になるまでは九州の土を踏むな」
と言っており、
ここで負けたら負け犬になる!
そうはなりたくない、
と思うことができたとのことです。
努力と根性、そして一生懸命に、
なんにでも向かって活動したとのことです。
その結果、現在では日本一の騎手となっているので、
兄以上に輝きましたね!
的場文男が負った怪我がエグすぎる・・・!
的場文男さんは、
現在に至るまでに何度も怪我をしていたとのことです。
その殆どが、レース中や調教中の落馬などが原因の
骨折とのことです。
骨折はよくあることで、
助骨が折れるのは、
かすり傷みたいなものだとも行っています。
私も骨折したことがあるのでわかりますが、
助骨一本でも相当痛いのにかすり傷だなんて、
相当タフな方ですよね(笑)
ときには左肩を複雑骨折して、
骨が飛び出たこともあるとのことです!
そんな経験をしても、
骨折なんて大したことがない!
と思っているとのことです。
そんな的場文男さんですが、
一回だけ死にかけたことがあるとのことです。
ある時、馬に蹴られてしまって、
脾臓と腎臓が破裂してしまったとのことです。
医者からは、
出血多量で普通の人なら死んでいた
と言われたとのことです。
的場文男さんいわく、
体を鍛えていたから助かったとのことです。
本当に只者じゃないですよね(笑)
そこまで怪我しても、
騎手を続けた理由は、
やはり兄の影響があったからだと思います。
兄のようになりたい、負け犬になりたくないと、
根性があったからこそ、怪我に負けなかったのだと思います。
的場文男の年収は?
そんな的場文男さんの年収ですが、
通算勝利数も伊達じゃないので、
めちゃくちゃ稼いでいるのでは?
と思いますよね!
実は、的場文男さんは、
中央ではなく地方の騎手です。
中央の騎手と地方の騎手では、
賞金に大きな違いがあるとのことです。
そこから考えられる的場文男さんの年収は、
500~600万円ほどだとのことです。
なんだか一般的な金額ですね。
ですが、実際にどれだけ稼いでいるのかは
本人にしか判らないため、
これ以上に稼いでる可能性もありえますよね!
最後に
今回は、的場文男さんについてまとめました。
兄の背中に憧れて騎手デビューするも、
当初は活躍する機会も与えられずに、
一時期はやめてしまおうかとも思っていましたが、
兄の言葉により、努力と根性でのし上がり、
ついには日本一の騎手になりました。
そして的場文男さんは、
自分の人生を綴った本を書いたとのことです。
競馬に興味がある方や、
そうでない方もぜひ読んでほしいと、
的場文男さんはコメントしています。
的場文男さんは高齢になりましたが
今でも活動は続いているので、
これからも応援したいですよね!
終わり