翔んで埼玉の原作作者の制作秘話がヤバすぎる!監禁のストレス発散だった?

1982年から1983年に連載されていた漫画の翔んで埼玉!

2019年に映画化されてとても話題になった作品ですよね。

そんな翔んで埼玉ですが、実は原作の制作の裏にはとんでもないエピソードが隠されていました!

原作者の名前は魔夜峰央さん。

そのエピソードとはなにか、調べて記事にしてみました。

翔んで埼玉の原作者の魔夜峰央のwiki風プロフィール

出典:https://jisin.jp/

名前:魔夜 峰央(まや みねお)

本名:山田 峰央(やまだ みねお)

生誕日:1953年3月4日

昔から活躍している漫画家さんで、有名な作品といえば今でも続いているパタリロ!という作品ですね。

この漫画は翔んで埼玉と同じく映画化されているので有名な作品ですね。

しかもそれだけでなく、パダリロ!という漫画は、1978年から現在に至るまで連載されているので、超長寿な漫画となっています!

すごいですね!連載してから半世紀を超えそうです笑

ついでですが、魔夜峰央さんは自分の通称をみーちゃんとしているとのことです。

かわいい

翔んで埼玉の制作秘話とは?監禁のストレスで作り出された!?

話しに戻りますが、翔んで埼玉という作品は埼玉に対する扱い方がとても独特ですよね。

というのも、その作品の裏では、魔夜峰央さんはとても大変な目にあっていたということでした・・・

ことの始まりは、今まで暮らしていた新潟駅から、編集長からの勧めによって埼玉県の所沢市に引っ越したところから始まったとのことです。

引っ越してきたのはいいものの、その引越し先の近所には出版社の編集長と編集部長が住んでいたとのことでした!

編集長たちがいるということは、漫画について家にまで簡単に仕事に来れるということなので、精神的にとてもきつかったということでした・・・

これはたしかに地獄だな!家にまで会社の人が来て仕事に来られるなんてたまったものじゃありませんよね!俺だったらまじで耐えられる気がしない・・・

そんな日々が続く中で、次第に魔夜峰央さんはとても追い詰められていったということでした。

おっかない看守が二人もいて、何とかこの独房から抜け出したいと、半ばやけくそになってひねり出した作品が、翔んで埼玉というわけでした。

埼玉になにか恨みでもあるのか?と思っていたのですが、そういうエピソードがあったのですね・・・

なんか納得しました。

この漫画は埼玉県をネタにしているので、割とクレームとか多かったんじゃないの?と思ったのですが、実際はその逆で、売上の3割は埼玉県民が占めていたとのことでした。

これには魔夜峰央さんも不思議がってたみたいです。

私も不思議です。

最後に

今回は、魔夜峰央さんについてまとめてみたよ。

・翔んで埼玉は監禁のストレスによって生み出された

ということがわかったね。

漫画家ってめちゃくちゃきつい仕事なんだね・・・

こういうのもよくある話なのかな?

すごいね・・・

終わり