チェルピンスキーマラソン選手の経歴と現在は?オリンピックも?瀬古俊彦のライバル!

ADN-ZB Thieme 17.4.76 Karl-Marx-Stadt: X. Internationaler Marathonlauf-Sieger des X. Internationalen Marathonlaufs im Karl-Marx-Städter Stadtpark wurde am 17.4.76 der 25jährige Hallenser Waldemar Cierpinski in guten 2:13:57,2 Std.

あいつ今何してる?

という番組に、瀬古利彦さんのライバルである、

ワルデマール・チェルピンスキーさんが出演しました!

そこで、ワルデマール・チェルピンスキーさんの

経歴やプロフィールなどが気になったので、

調べてみました!

ワルデマール・チェルピンスキーのプロフィール

出典:https://fi.wikipedia.org

名前:ワルデマール・チェルピンスキー

生年月日:1950年8月3日

出身:ザクセン=アンハルト州(旧東ドイツ)

中々ワイルドな顔立ちをしていますね!

小さい大会も含めて、

11回も優勝をつかみ取っています!

そんなチェルピンスキーさんですが、

現在は、スポーツ用品店を経営しているとのことです!

ワルデマール・チェルピンスキーの経歴

チェルピンスキーさんは、1950年に

ザクセン=アンハルト州で生まれます。

最初から、マラソン選手になっていたわけではなく、

当時は障害物競走の選手だったとのことです!

1974年にマラソンに切り替えてから、

ほとんど結果を出せずにいましたが、

1976年に開催された、

モントリオールオリンピックで、

当時、世界最強と言われていた

フランク・ショーターさんに

勝ったことで、一気に有名になります!

そして、1980年に開催された

モスクワオリンピックで優勝することで、

東ドイツ・スポーツマンオブザイヤー

を受賞します!

プレイヤーとしては、本当に実力がある、

すごい方ですね!

ですが、1984年に開催された

ロサンゼルスオリンピックでは、

自国がボイコットをしたため、

出場することができず、

マラソン種目史上初となる

五輪三連覇を果たせませんでした。

国の問題なので、どうすることも

できなかったのだと思います・・・

それからは、

ドイツオリンピック委員会のメンバーであり、

スポーツ用品店のオーナーとして

活動しています。

ワルデマール・チェルピンスキーと瀬古俊彦さんの関係は?

瀬古俊彦さんは、

チェルピンスキーさんとは

ライバルであり、因縁の相手だった

と語っています。

1980年に開催された、

モスクワオリンピックでは、

瀬古俊彦さんは、日本がボイコットしたため

出場することができませんでした。

瀬古俊彦さんは、

チェルピンスキーより、俺のほうが早い

と自負しており、非常に戦いやすい相手だったとも

言っていました。

実際に、当時の国際大会では、

何度か対決したことがあり、

ほぼ瀬古俊彦さんが勝っていたとのことです。

もしも日本がボイコットしていなければ、

私が優勝していたと、言うほどでした。

瀬古俊彦さんも、

とてもすごいマラソンランナーなので、

確かにあり得ますね!

そんな瀬古俊彦さんのことを、

チェルピンスキーさんは

とてもリスペクトしており、

モスクワオリンピックで対決できなかったことを、

とても残念に思っているとのことでした。

お互いのことを尊敬しており、

互いにいいライバルだったのでしょうね!

最後に

今回は、マラソン選手の

ワルデマール・チェルピンスキーさん

についてまとめました。

瀬古俊彦さんのライバルでもあり、

互いをリスペクトする姿に感動しました!

瀬古俊彦さんのように、

チェルピンスキーさんも

自国がボイコットをしたので、

そういうところにも、共通点がありますよね(笑)

現在では、ドイツオリンピック委員会のメンバーと

スポーツ用品店のオーナーとして活動していますが、

ちょくちょくマラソンはするようなので、

マラソンへの愛はまだまだ残っているようですね!

私も応援したくなりました!

終わり